2012年3月20日火曜日

江戸時代などは、たんぱく質の不足から病気になったのでしょうか。

江戸時代などは、たんぱく質の不足から病気になったのでしょうか。

時代物では流行り病で亡くなったとか。ありますが。

そんなに簡単に死なないと思うのですが、

たんぱく質をとっていない為、あるいは摂取が不足していたためにすぐに病気になったのでしょうか。

米にも蛋白質は含まれていますが、それだけでは足りなかったのでしょうか。

動物性蛋白といえば、魚ぐらいだったのでしょうか。

卵が食べられるようになったのは、割と最近のようです。

鶏なども食べたのでしょうか。牛や豚などは一般には食べられていなかったらしいですが、

そうなると、豆で補っていたのでしょうか。







ビタミンB1不足から脚気(かっけ)が流行したのが江戸時代の江戸の特徴です。別名「江戸わずらい」といわれたゆえんです。ご存知の通り、この時代作り手の農民自身が米を口にすることはまずまれで、それらはもっぱら都市部で消費されます。が、米自体のビタミン不足は事実であり、そのため副食物で不足分を補うのが日本食のスタイルなわけですが、今と違って当時のおかずは、おかずそのものの栄養価も低いため、主食(すなわち米)のビタミン不足は補いきれず、したがって上記の脚気が蔓延する原因となりました。現在のわれわれも白米を食しているではないか、と言いたいところですが、現在のおかずの栄養価は、この時代にくらべると格段に高くなっており、そのため脚気にはかからないというわけです。また、日本人一般の肉食の常態化は明治時代以降ですので、身分の差を度外視しても、ふだんの食卓に鶏肉が出ることなどはまず、考えにくいでしょう(もっとも徳川慶喜や明治天皇などは幕末の時点で牛肉や豚肉を好んで食べておりますが、まずレア・ケースでしょう)。また、一部のひとはいのしし肉や鹿肉も食しておりますが、これとて日常食ではなかったので、仰せの通り、主食をのぞけば豆や魚、やさい類に汁ものがせいぜいつく程度で、全体として栄養不足は覆うべくもなかったことでしょう。それは絶対権力者たる徳川将軍家とて例外ではなく、歴代将軍のなかにも脚気にかかった人物がいることでも証明できそうです。








江戸時代の日本

に限定せず、人類全般の話をまずすると、

現代の栄養学がいうほど、たんぱく質を

必要としない、民族、があるのが事実です。



たとえば、現時点でもパプアニューギニアの

原住民は、野山を駆け巡って、元気溌剌

筋骨隆々だったりするが、食事は芋ばっかり

で、たんぱく質はたまにたべる豚だけ、とか。

江戸時代の日本人のように、今日的なおかず

はほとんどなく、米ばっかりやたらと食べる

食生活、だったり。



これは、人間も生物なので、たんぱく質(アミ

ノ酸)は体内で作れるし、体内の細菌の増殖

が、たんぱく質源になる。必須アミノ酸が最低限

とれれば、なんとかなる。

といった理由と云われています。



注:そういう食生活に慣れることもできるの意

で、いまから現代人ができるか、とか、現今の

栄養学を否定するとか、の意図でないですよ

為念

あと、パプワニューギニアの原住民云々は、

私がこの説を聞いたときに挙げてた例なので、

特定の民族を意図的に取り上げたものではない。



というわけで、先任回答者のいうとおり、

それなり程度のバランスでも、けっこう生きて

いけたようです。

ただ、江戸(を初めとする都会では、)白米ばっか

りたべるので、ビタミンB1不足の脚気は、深刻だ

ったとされています。



だいたい、現代が飽食過ぎるのであって、そう

何品目もの食材を毎日食べたりしないのが、歴

史的には常識です。

無論、そういう食生活では耐病力はよわかった

でしょうけど、抗生物質出現前は、病気は栄養

豊かな人でも、簡単に人命を縮めたのも確かです。

栄養との関係はそんなに簡単ではないと

思われます。



ところで、卵は、赤穂浪士が討ち入り前に食べた

なんて、話があるので、それなりに歴史のある食材

のようです。







江戸時代に多かったのは「江戸わずらい」という精米した白米によるビタミンB1不足の脚気です。







「流行り病」と一口にいっても、いろいろあります。

まず、世界中で恐れられた「天然痘」はまだ撲滅されていません。ジェンナーの種痘が日本に入ってきたのは「ゴロウニン事件」後で、それもお上を恐れて北海道で細々と行われていただけです。

天然痘の死亡率は高く、歴史では奈良朝の藤原四兄弟が全員死んだり、伊達政宗も死にかけています。



次に栄養不足からの結核。いわゆる「労咳」ですね。結核は「贅沢病」といわれるように、豊富な栄養と休養で治るんですが、江戸時代にそんな余裕はありませんでした。沖田総司や平手造酒がこの病気で亡くなっていますね。



それから大正まで原因不明だった「都会病」、「脚気」。

ビタミンA不足で起こり、江戸など都会は白米を、少ない副菜で食べるため、ビタミンが不足し、体がだるくなり、むくみ、やがて起き上がることが出来なくなって、死に至ります。田舎は玄米で食べるので、玄米には多く含まれていて、この病気になりにくかったのです。

栄養素「ビタミン」が発見されてようやく原因が分かり、それまで「伝染病」ではないかと思われていました。

14代将軍家茂がこれで亡くなっていますし、日清戦争では、戦死者より脚気で死んだ兵士のほうが多い、といわれています。



江戸時代にも、蛋白質はそれなりに摂られていました。

獣を食べないといっても、仏教で禁じられているのは「4つ足」のみで、鳥などはよく捕って食べていましたし、「薬食い」といって、鹿や馬、猪などを食べさせる店もあったのです。肉で精力つけるということで、薬になるということです。

また「畑の肉」大豆も今よりずっと食べていました。大豆関連料理(豆腐や納豆も含め)がやたら多くなったのも、江戸時代です。



日本で不足した栄養素は「カルシウム」といわれています。

カルシウムは意識しなくとも、野菜が土から吸収した分で補えるのですが、日本は「火山灰土」であるためカルシウム含有量が低く、生涯摂取量が少ない。

魚は骨ごと食べる機会が意外に少ないので、身だけ食べて蛋白質は吸収できても、カルシウムまではなかなか……ということのようです。

昔の老人が歯が汚かったり、腰がすぐ曲がってしまうのも、これが原因といわれています。



平均寿命などは、その国の医療体制によります。一番目に見えて影響があるのは「乳幼児死亡率」で、残念ながら日本の衛生、医療体制は遅れたものでした。

保険も無いから、なかなか医者にも診てもらえないというケースも多かったのです。

しかも、水道やトイレは共同で、流行病が発生したら、すぐ広まってしまう傾向もありました。

為政者も、病気や健康に関する意識が低く、流行病が出ても、その行動は消極的でした。この傾向は現在もそうだと思います。



風邪程度だって、放置すれば人は死にます。

よくかかる病気だからといって、甘く見れば、人は死ぬのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿